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牧野富太郎と私
私が小学校5年生の時、私の父が牧野先生の植物図鑑を買ってきてくれまして、毎日開けては見ていました。
勿論、元々植物が好きだったので、色々な場所に採集に行っていました。
『牧野植物混混録』も父が買ってくれ、それも繰り返し何回も読みました。
何とかして牧野先生の指導を得たいと思い、先生の弟子にしていただけないかという手紙を書くと言うと、父は、
こういう偉い先生は手紙が来ても返事も来ないからと申しましたが、私は手紙を出しました。
すると、先生から私のところにだけではなく、父のところにも「植物学をやりたいということであれば、見込みがあると思うので、
大いにやられたらよろしい」というお返事を下さったのです。
それから今度は、牧野先生にお会いして直接ご指導をいただきたいということになりました。
当時は昭和20年頃、ちょうど日本が戦争に負けた頃で、私の家族は岐阜県に疎開していたのですが、
私があまりうるさく言うものですから東京に戻って来ました。
それから週に2回くらい西武電車を使って牧野先生の大泉のお宅におじゃまして牧野先生のご指導を色々得たのでした。牧野先生の著作でよく知られているものは有名な『牧野日本植物図鑑』(北隆館)だろうと思いますが、 この本は初版が皇紀2600年、昭和15年の出版です。 これは日本の植物図鑑の決定版だったといえます。沢山の植物の図が載せられていて、 この記載が非常に綿密・正確で、文語体の明治調の文章で味がありました。 私はこの本をとにかく毎日読んだので、綴じが壊れてしまい新しいのを買っては何冊も読んだものです。 この初版は今では貴重な存在になりました。 版を重ねるうちに日本の言葉が変わり、私が大学院の学生から助手になった頃に、 牧野先生のお弟子の前川文夫や、原寛、津山尚先生らによって口語体に書き直され、 私もそれをお手伝いし、牧野先生の直接のご依頼で、クリカボチャ、アロエ、ビンロウ等の図を描きました。 現在でも、この「牧野図鑑」は植物図鑑の鏡として広く愛読されています。終.
2001.09.13
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小山 鐵夫(こやま・てつお) 高知県立牧野植物園・園長。プロフィールを記事末に収載しました。 「牧野富太郎」は薬研庵主のあこがれの頂点。小山先生はその牧野植物園の園長をされておられ、 ご多忙を極めるなかで無理矢理に、牧野富太郎先生と小山先生の若き日のお話を交えた玉稿をお願いしました。 |
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