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「山々の王」と尊称された御嶽山 〜山伏達が全国に広めた薬文化─1〜
いまから200年ほど前、一人の行者が御嶽山の新しい登山道を切り開き、山頂の剣ヶ峰に登頂することに成功した。山頂から見下ろすと、北に瑠璃色の水をたたえた池があった。行者がその池の方へ下りてゆくと、座禅を組んで修行している人影が見えた。近づくと、それは生きた人間ではなく、ミイラ化した遺体だった。行者は心から御経をあげて供養しようと思い、遺体の前の前にひざまずき、まず九字を切って気合いをかけた。すると長い風雪でもろくなっていた遺体の皮肉がハラハラとくずれ落ち、一瞬にして白骨となってしまった。しかし、その遺体は白骨になってもなお座禅を組み、合掌した姿で死後も修行をしつづけていた。これは御嶽山の行者たちの間で語りつがれている伝説である。山頂付近でミイラ化していたという人物は覚明(かくめい)、その遺体に対面したのは普寛(ふかん)で、この二人の行者こそ御嶽山を中興した人物であった。そもそも御嶽山をオンタケサンとよぶのは、山々の王を意味する「王の御嶽(みたけ)」と尊称されたことから起ったといわれる。信濃、美濃、飛騨の三国にまたがり、標高3067メートルの独立峰としてそびえる御嶽山の雄姿はまさに山々の王だ。 原始的な山岳信仰の名残りをとどめる御嶽山では、かつて山頂に登るためには、百日間厳重な精進潔斎(しょうじんけっさい)の修行をしなければならなかった。こうした古い御嶽山信仰に対して、覚明と普寛が精進期間を短くして他国の人にも登りやすくしようとする改革運動をおこしたのである。 |
〈その1・了 / 「日本『異界』発見」1998.12.01 JTB発行初版より〉 |
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