伝承秘薬・妙薬


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富山の薬売りと立山修験
 〜山伏達が全国に広めた薬文化─2〜

 富山の薬売りは立山修験を源とし、のちに富山藩の産業として発展した。

 立出修験はヨモギの煮汁にキハダを加えて煮つめたものをクマノイ(熊膽)と呼び、ミヤマリンドウを三効草といい、胃腸薬や暑気当りの特効薬として全国の檀那場(だんなば)の信者に配って歩いたという。立山修験の「檀那帳」には、配るお札の種類と共に薬の名前と数量が書かれており、その代金は翌年に使用分を受けとっている。この集金方法や信者圏が富山の薬売りと酷似していることが指摘されている。

 こうした立出修験の薬文化を基に、富山藩の二代藩主・前田正甫は反魂丹をはじめとする製薬業を藩財政を支える産業として積極的に発展させた。伝説によると、富山の反魂丹は岡山の医師・萬代常閑が富山藩主の正甫にその処方を伝授したという。

〈その3・了 / 「日本『異界』発見」1998.12.01 JTB発行初版より
内藤さん

【*薬研注釈】
 富山市売薬資料館本・翻刻したものに、
 朱字で原本との異同を示してある。
 富山売薬業の起源については『富山反魂丹旧記』などの由緒書が伝来しており、現在もこれらを基本としたいわゆる「反魂丹伝説」が様々な形で富山の人々に語り継がれている。但し、売薬の由緒はあくまでも伝説であり、少なからず存在する種々の古文書の信頼性については充分な注意を要する。その反面、なぜそのような伝説が作られていったのかということの考証が求められよう。ただし主旨が異なるゆえ、本論では成り立ちについてさほどに深く考察するに至らず補佐資料を述べるに留めたい。
 〔引用資料ならびに画像はすべて富山県立博物館協会に帰属することを明示する。また梅原隆章「富山売薬由緒書批判」(『越中史壇』4、昭和30年)。同「越中売薬と立山信仰」(『越中史壇』6、昭和30年)。坂井誠一「富山売薬業の起源に関する一考察―修験売薬とのかかわりにおいて―」(『富山史壇』56・57合併号、昭和48年)。この他、『富山県史』近世編「近世下(富山県、昭和58年。)、『富山市史』通史・上巻(富山市、昭和62年)、『富山県薬業史』通史(富山県、昭和62年)等に詳しく掲載されている〕

 富山市売薬資料館本、Copyright(c) Toyama Museum Association 2005.
 簡潔に補足引用したが、立出修験と富山の薬売りの歴史的事実関係は確かに伺え、ここにも修験者の足跡が明らかに観てとれる。迂闊には決めつけられないものの、中国渡来の漢方薬が日本の薬師(くすし)の手に因って発展した一方で、本著には〈民俗学・その2参照〉日本独自の所謂民間薬とされるものが既に幾つか著されている。しかしいずれも和名である。例えば渡来漢名と対比すると次のようになる。「ヨモギ=艾葉:がいよう/キハダ=黄柏:おうばく/ミヤマリンドウ=龍胆:りゅうたん」等。反魂丹にはまだまだ不思議ないきさつがありいずれ述べたいが、直截中国渡来の名称では語られていないものの、いにしえの処方生薬のなかにはその名称がある。
 さらに特筆すべきことに、本著に云うクマノイは『神農本草経』に発し江戸初期に後藤艮山がその効用を喧伝したことに始まる、脊椎動物門哺乳綱食肉目のクマ科(Ursidae)のツキノワグマやヒグマの胆汁の乾燥品または胆嚢などの漢方の熊胆(くまのい=ゆうたん)とは異なること。これはまことに興味深い。拙速ではあるが、有り体にいえば修験者が独自の知識を里人にもたらし、併行して薬師が渡来薬効説を巧みに取り入れつつ現代に連綿と続く民間薬草となったのではなかろうか。そういった見方をしてもなお、立山信仰と伝承薬草の源には修験者たちの壮大なる宇宙視観曼陀羅ベクトルが独自性をもち、非常に大きな影響を及ぼした存在であったと言い切って差支えはあるまい。

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