宇宙のエネルギーを食す
〜修験道の食文化・出羽三山ー1〜
薬研庵主の覚悟
いよいよ出羽三山について内藤正敏の宇宙観に迫らねばならないと思う。
お会いするたびに伺っているが、とても大それたことまでは言及できず、かろうじて「食」に関して頂戴した資料から拾ってみるしかない。
山伏のみちは踏み入れたことがないので、試みに、自身で少しでも体験すべく平成17年10月に秘境のひとつ「東補陀落:ひがしふだらく」に行った。
修験道は俗物たる私の予想を遥かに越えた厳しいもので、急峻な上下道やガレ場で足をとられ怪我し、デジカメまで壊してしまった。
後日、あきれた内藤先生から「西補陀落」には決して行かないよう厳命された。素人は必ず迷い死にすると仰るのである。
羽黒修験は、崇峻天皇の皇子である蜂子皇子=能除(のうじょ)太子を開祖とする。
太子は生まれつき悪面限りない怪異な姿で、その人間とは思えぬ姿ゆえに皇位につけず、修行の旅に出て羽黒山に辿り着いてヤマを開いたといわれる。
羽黒山には「松例祭:しょうれいさい」という祭りがあり、起源を伝承記録『拾塊集』に見ることができる。
もとをただせば各地にある鬼伝説で、松聖(まつのひじり)とよぶ二人の山伏が、百日間の精進潔斎の参籠修行の末、満願の大晦日に、
修行で得た験力を競う形で展開し、双方の松聖側に分かれた若者や山伏がおこなう儀礼の勝敗で豊凶を占う。

注意深く眺めると、祭りの中に実に興味深い食物が登場する。山伏といえば断食や穀断(こくだち)というイメージが強いためか、
食物から修験道に切り込む研究は見られない。案内しよう。
大晦日の午後二時、 乱鬼(そらんき)を象徴する大松明をしばっている綱を切り、
松聖がこれを参拝人に投げる「綱まき」がはじまる。現在、大松明はツツガ虫の姿を象ったと説明されているが、これは明治以後のことで、
比較的新しいことである。いうならば大松明の綱を切ること、つまり 乱鬼を斬り殺すことからはじまるのだ。
夜七時ごろ、大松明を四分の一ほどの小型に作りなおす「まるきなおし」がおこなわれ、
この頃から松聖がひかえる補屋で一般の参拝人にも酒と握り飯がふんだんにふるまわれる。問題はこのニギリメシだ。
2006.06.08.
【薬研注釈】
乱鬼とは無数の異形の眷属をひきつれ、
黒雲の中から火炎を吐き高い山の上から悪臭を吹きかける鬼で、幾万人とも知れぬ死者がでる惨状となった。
そこで神前に多くの供物を献じ祈ったところ、七歳の娘に羽黒山の神が憑き、
いわれた通りにすると悪鬼退治ができた〜これが『拾塊集』に掲載されるいわれであるが、
日本民族は中国・朝鮮の影響を受けない八百万の神々を祀る伝統があった。
しかし明治政府の神仏分離令の名残がツツガ虫への変態? を物語っているようで面白い。
ちなみに、神仏分離令は仏教排斥を意図したものではなかったが、これをきっかけに全国各地で廃仏毀釈運動がおこり各地の寺院や仏具の破壊が行なわれ、
檀家制度のもとで寺院に搾取されていたと感じる民衆がこれに加わった。政府は神道国教化の下準備として神仏分離政策を行なったが、
明治5年(1872年)の神祇省廃止・教部省設置で頓挫し、神仏共同布教体制となった。
背景に明らかに天皇興国がうかがえるが、本論では触れない。
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